Sunday, January 24, 2010

Star Kendo Player(輝く剣士)

そうです。あの正代選手がベイエリアに登場です! すごーいっ!

http://www.youtube.com/watch?v=806U-j8bFsY

そもそも、北カルフォルニア剣道連盟の人が昨年10月頃に「Shodai Senseiが来るらしい。」と話していたので、「まさか、昨年の全日本剣道選手権で優勝し、剣道世界大会でそのスピードと強さを見せつけ、ばりばり現役である、あの上段の正代選手が来るわけないでしょ。名前読み間違えているんじゃないの?」と流していたけれど、その後送られてきたメールにも、しっかり「Shodai」と書いてある。「えー、マジっ!」ということで参加してみると、本物が。。。そのすごさ上記リンク参照。

子供から大人まで一緒に指導していただく。基本、切り返し、攻め、姿勢、手の内、スナップ、それらの大切さと練習方法に加え、剣道が出来るのは周りで支えてくれている先生や家族やその他の人々おかげで皆に感謝の気持ちを持つのが大切だと思っていることなど、静かで謙虚なでも熱い情熱が伝わってくる指導だった。栄花選手など剣道界のイケメンだが、正代選手のかっこいいこと。内外充実した存在感はすごいものだった。

そして待ちに待った稽古。とっとと面をつけて列に並び、友達のエイドリアンの後、2人目にお願いする。その上段から稲妻のように落ちてくる片手小手、「パシッー!」ときまり、すごい音とともに腕に電流が走る。でも力で打たれた時に感じるあの重い鈍痛は全くない。「おーっ」と感動しつつ、とにかく退かないで、積極的に間合いに入っていって打ちにいく。もちろん小手も面も打ち込まれ、ボコボコにされるが、とても気持ちの良い稽古だった(後でビデオを見ると腰が入っていない自分の打ち込みに情けなくなってくるのだが。。。)。自分の稽古が終わるとすぐに、それから延々と続く地稽古(優に40人くらいとやっていたのではないだろうか)の看取り稽古をする。とにかく足が止まらず動き続けている、先を掛ける、攻める、腰から飛び込んでいく、打ち込んでいく剣先に力と鋭さがある、素振り木刀が馬鹿太い、二の腕が太い、踏み込みが強い、捨てて打ち込んでいく、など全てよく言われることだが、目の当たりにすると、こんな感じなのかとすごく勉強になる。

練習後に写真を撮ってもらうとともに、「世界選手権おめでとうございました。海外の日本人剣士として、とてもうれしかったです。」と一言挨拶をしてお別れした。ああいう若くてかっこよく気持ちのいい剣士が日本の剣道界を代表してくれていることをとてもうれしく思う。

さて、もう一度あの恥ずかしい稽古のビデオを見て、腰の入った先を掛ける剣道に向けて、練習に励まなくては。。。。

Cool Service 1 - PANDORA(いけてるサービス1-パンドラ)

知っている人も多いだろうが、最近すばらしいと思っているサービスがある。そう、インターネット・推薦・カスタマイズ・ラジオ「PANDORA」である。

http://www.pandora.com/

噂にはきいていたけれど、試したことはなかった。あるきっかけで(スタートアップのデモ会で「僕らはPANDRAよりもすごいんだ!」ととても意識しているので)、試す価値のあるサービスみたいだと思い、まずi-Phoneで試す。

とにかく僕みたいな中途半端な音楽ファン、音楽は好きだけどコンサートまでは行かない、CDもいいけれど気合いれて集めるほどでもない、ラジオもいいけど話が多すぎで好きな音楽が流れない、いろいろ好きな曲があるけれどアーティストとか曲名を覚えていないので買うにしてもどのアルバム・曲がいいのか検討がつかない、つまりそれほど時間とお金を投資するつもりもないが、好きな音楽が身近にあれば気持ちいいし、そのためには少々のお金と時間を割いてもいいと思っている人(カジュアルユーザー)には、まさにぴったりのサービス。それも基本無料。特にどこでも持ち運べるi-Phoneサービスが優れている。

簡単に機能を説明すると、

*まず無料登録する。
*好きなアーティストか曲名を入力するとそれが自分の好みラジオ局として登録され(例、ボンジョヴィ局)、局数を自由に追加していける。
*まず好きなアーティストのある曲が流れ、その後他のアーティストで似たジャンルの曲が次々続く。好きなアーティストの曲は4~5曲に1曲くらいで流れる。
*曲はサンプルではなく、完全な曲が流れる。音もよく、車のオーディオにつなげても高品質。
*曲が流れると好みを選べて、「好き」を選ぶとそれが記録されまたそのうち流れ、「嫌い」を選ぶとその時点で曲が停まり、次の推薦曲に移行し、その後は同じ曲が流れることはない。
*そしてこの記録機能により、自分のボンジョヴィ局はどんどん自分の好みの選曲・傾向に近づいていく。
*曲それ自体は選べないが、結構好みの曲が流れてくると同時に、忘れていたけど好きだった曲に出会ったりして驚きうれしくなる(これ僕にとって大事。おーそうだ、これ、トンプソン・ツインズだ!とか。。。)。
*どうしても欲しい曲はその場で購入できる。
*PCだと4~5曲に1回くらいコマーシャルが入るけどiPhoneでは入らない。
*日本の曲がないのが残念。。。

僕は、仕事中は音楽を聴かないので(研究所にいて気づいたけど、多くのエンジニアがプログラミング中に音楽を聴く)、通勤中のそれもマーケットニュースを聞いたあまった時間でしか使用しないけれど、その至れり尽くせりのサービスに感心している。彼らが、この基本無料機能を月5ドルくらいで課金してもたぶん僕は会員になると思う。

PC上でも利用できるので興味のある人は是非試してもらいたい。

Saturday, January 23, 2010

Contentment and Progress(満足と進歩)

最近、満足と進歩について考える。知足(足るを知る)は真実だと思う。でも自分を前に押し出していかないと進歩もないのもまた真実ではないだろうか。このバランスをどうとっていくか。

最近までは、目標を定め、それを自分に課し、集中力を高めて、一つ一つこなしていくことで結果が出てきて、充実していたような気がする。それほど工夫しなくても、時間はたっぷりあるし、いろいろなことに突っ込んでいって挑戦し、広さとしての自分の経験値が上がることに進歩を実感し、満足・充実感を得ていたみたいである。「これかっ?」と何かを感じたら、それに向かってとにかく突っ走るという戦略である。単純な自分にはぴったりだ。

最近、自分が進歩するだけではなく、他人・組織・社会に貢献できるような形、つまり結果を出す形、深さが伴わないと、回りも満足しないし、自分も充実感を得にくくなってきているみたいである。もちろん前より時間も限られている。「自分で課した目標をやっていないじゃないか?甘いんじゃないか?」と自分にプレッシャーをかけるだけでは、質の高い結果が出ないだけでなく、自分で自分を疲れさせている感もある。例えば朝、布団の中で、「あー、あの案件なかなか進まないなあ、極端に朝5時くらいに起きて時間をかけて取り組めば何か進歩するよなあ、でも眠いし通勤一時間だし、ボスはまた文句いうんだろうなあ、昔の勢いはどこだ、ちょっとだれているんじゃないか、、、」なんて考え、自分で自分にハッパをかけようとしたりしていた。

ある朝これは、自分を鼓舞するというより、プレッシャーかけて終わっているだけかもしれないことに気がついたので、試しに、「いや、かける時間じゃない、今体が疲れているなら少し休んで、気持ちを楽にしよう、通勤の一時間もアイデアを出すのにいいし、ボスは皆にもあの調子だから、気にせずもっと工夫してボスの言うところに影響を与えていこう、昔より難しい仕事なんだから、「何」だけでなく「どのように」が重要なんだ、、、」なんて考えてみた。そうすると、いろいろなプレッシャーは自分で作り上げていた幻想で、それが消え、胸がスーッとすると同時に、回りもよく見え、青空がぐっと高くなった感じがした。アイデアもいろいろ出てきた。

僕の友達でも本当に効率がいい人達がいる。結果が出て、その質が高い。よく工夫しているんだろうし、そこにエネルギーを注いでいるんだろうけど、どうやればああいうふうにできるのかわからない。不器用な自分は、つい突っ走って勝負しがちなので、これからは、上記のように、工夫をする癖、そしてそこからより質の高い結果を出していく楽しみ、これを習慣として身に着けていけたらと思ったのだった。

「これでいいや」では進歩はないけれど、「これじゃだめだ」だけではなんかギスギスする。「こんなのはどうだろう」「これいけるんじゃないか」みたいな工夫に焦点をあてることで、僕みたいな気合一発タイプにありがちの「僕はこんなに(精神的にも時間的にも)努力しているのに、なんでわかってくれないんだ」という外への不満と内へのストレスが、「自分のこの工夫ではだめか、じゃあ次の手を考えよう」という内省へ転化され、自分の問題として取り組めるようになり、コントロール感も合わさって、精神的にもよさそうである。

皆からすれば、「そんなの当たり前だよ」と言われそうだが、自分としては、「あー、これはいけるかも、、、」とちょっとした発見に得した気分。

これからいろいろ試していこうと思う。

Tuesday, January 12, 2010

Nature(自然)

自然の景色はなんかこう体が浄化される感じ。特に青空。
日の入りを見る度に得した気分になる。今年はあと何回見れるか。
今年は是非まだ行ったことのないヨセミテポイント(↓)に行きたいと思う。

Friday, January 8, 2010

Yutaka Ozaki(尾崎 豊)

最近通勤の往復時は、i-phoneを車のオーディオにつないでCNBCのマーケットレポート・ニュースを聞き快適に行き来している。あんまりテレビを自宅で見ないので、通勤・帰宅時の毎日2回の産業ニュースは効率的にもいい。

だが昨日ふと音楽が聞きたくなり、手もとにあった尾崎豊のアルバムを車の中でかける。うーん、よく出来た歌詞に唸ってしまう。

誕生、十七歳の地図、存在、失われた1/2、僕が僕であるために、、、

10代で自分の経験や人の話から、どうしたらこれだけのものが書けるのかと感心してしまう。僕が中学の頃初めて尾崎を聴いたときは、なんじゃこりゃ、変なにーちゃんだな、なんでこんなに気張ってるんだ、なんで尾崎ファンはあんなに熱中するんだ、と不思議に思っていた。ノホホンと小・中・高を過ごし、特にもまれなかった自分には、その言葉を感じ取る土壌が出来ていなかったのだろう。自分なりに前へ踏み出し、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり生きて来た後に改めて聴くと、その言葉の一語一語がスーッと自分に入ってきて、そうだよな、つらいよな、不安だよな、でもみんな頑張ってるよな、前向いて明るく行くんだよな、笑って前進むんだよな、なんてやる気がむくむくっと沸いてくる。たぶん彼の歌に多くの若者が当時元気付けられ、今も多くの人達が言葉を噛み締めてるんだろうなあと思った。

彼のような芸術家は通常よりもアンテナがびんびんに張っていて、世の中の矛盾とかつらさとか美しさとかすべて受信してしまう超センシーブルな人間なんだろうと思う。そのキャッチする情報をぐーっと凝縮して芸術表現に転化する。強い精神に裏づけされたその感化力はすごいものだと思う。ただ、そういう自分を守りきれないことを悟った岡本太郎さんは、守らないことでその壁を突き抜け、生き続けてくれたけれど、尾崎豊とかその他の芸術家は、本当に残念ながら、すっと行ってしまった。彼が生きていれば、今45歳。まだまだいけてるオヤジで、元気のないオヤジら相手に、いいとこ見せてくれるかもしれないのになあ、またすごい歌詞をつむぎだしてくれるのかなあ、なんて思ったりする。

ということで久しぶりにカラオケに行きたいような気がしてきた。いまさらの感があるが、学生の時のように、尾崎・長渕・ブルーハーツ・ボーイ・フライングキッズをシャウトして、明日への活力を充電したい!誰かカラオケ一緒に行ってくれないかなあ。。。

Sunday, January 3, 2010

Taro Okamoto & Noble(岡本太郎さんと気高さ)

あっという間に冬休みが過ぎてしまう。今回の冬休みは、うれしいことに家族が増えてにぎやかな反面、一人で洞窟に篭ってどっぷり思考するような冬篭りの環境は作れず。僕の場合、時々、自分は何やっているんだろうかと力が入らなくなり、焦点が合わなくなることがある。何か物事がうまくいかない時や精神が開かない時。まあこういうのは誰でも経験があると思うけれど。だから年末に冬篭りして、腹にぐんと来るような本を10から20冊読み、物を書いてもう一人の自分と正直にじっくり対話すると、洞窟から出た時に見上げる青空のような、そんな再生の気持ちが体いっぱいに広がり、新しい年に取り組む気構えが出来る。熊とかも冬眠の後、いくぞーって感じなんだろう(腹減ったーという感じでもあると思うけど)。

そんな時に必ずといって良いほど読み返すのが岡本太郎さんの本である。ぐっと腹にこたえる共感と共に、精神が研ぎ澄まされて、集中力がぐーっと先へ伸びる。彼の本はハウツーではない。生き方。こうしろでもない。僕はこうなんだである。文化論であろうと、芸術論であろうと、切り口は同じで、指針というのだろうか、筋が通っているというのであろうか。彼の人生の理不尽・矛盾に全身で飛び込んでいくそのドラマには、いつも共感を覚えて血が沸き立つ。やる気が出るとかではない。全身が反応するという感じ。

ということで長い冬篭りは出来ないまま、今回はとにかく岡本太郎さんの本を何冊か持ち出し、家族でゴールデンゲート公園やプレシディオ公園へ散歩がてら話したり、途中のカフェで読書をしたり、いろいろ考えてみた。これからは冬篭りもそう長く出来ないので、生活即思索。こういう風に歩いていながらもすっと洞窟深く篭れるようになれなくては。

精神が開かない時どうするか。忙しい方がいい。無心ではないが一心になり目の前のことを一所懸命にやることで精神もだんだん開いていく。しかし、ふと辺りを見上げた時に、時間はあっという間に過ぎたのにぜんぜん前へ進んでいない自分を見てはっと焦る。だから、がんがんやる前に、静かに座って方向性や方針を決めておくのがいいのだけれど、この方向性と方針の具体化がやっぱり難しい。そこをなんとか強引に方向性と方針を冬篭りで打ち出すパターン。でも方向が見えない時に決断しなければいけない場合「後悔しない選択」でやるようにしている。太郎さんは、必ず危険な道を選ぶとすごいことを言っているけど。これが、損得勘定や安定志向で消されてしまいがちな、小さな小さな心の声の方向性をつかむこつかもしれない。

ところで最近、方針としては、「気高さ」かなと思う。「気品」ともいえるかもしれない。きれいな格好をして、礼儀正しくて、威厳があるとかいうのではない。もちろんお金持ちとかそういうのは全く関係ない。その人の目の透明度、充実度、みたいなもの。自分の感じとしては、お風呂から上がった颯爽とした気持ちというか、精神が広がる瞬間に感じられる空がすーっと高くなる感じというか。だとすると、どうすればそういう気高さが生まれるのか。たぶん、自分に嘘はつなかいこと、自分に厳しいこと、人と比べない自分を全力で生きている自信、決意と覚悟だと思う。そういう内面の充実・のびのびとした自信が目や雰囲気に現れ、空を高くするんだと思う。僕は岡本太郎さん、シンガポールで会った喉に穴の開いたおっちゃん、雑誌に載っていた新幹線で車内販売をリードする女性、祖母、そんな肩書きとかとは無縁の人からこれを感じる時がある。

太郎さんは、人生の理不尽・矛盾からどうやって自分を守り・確立しようかと悩み続けて、その結論が「守らないこと」だった。自分のマイナス面との一生の取っ組み合い。あのすさまじい生き方が出来るかわからないけれど、怖い時こそ自分を捨てて飛び込む、そんな武道の真髄でもある生き方を日々積み上げて行って、一人でのびのびと充実できるそんな風になりたいと最近思う。

2010年、相当なチャレンジが僕らの前に立ちふさがるでしょうが、一緒に頑張りましょう!応援が必要な方、岡本太郎さんの書籍、お勧めです。

New Year Break(お正月休み)

あけましておめでとうございます。なんかゆっくりしているうちにあっという間に2週間の冬休み終了。大晦日はナイスガイひろ家に招待されておなべを食べつつ、ミニアツの少ない友達の一人のひろジュニアと遊ぶ。女の子の赤ちゃんは本当に動きがやわらかくてかわいいね。駄々のこね方もかわいい。それに比べてミニアツは、泣くとうりゃーっという感じでうるさいけど、頼りになる同志を予感させたりもする。

このお正月休みは前半は、サンディエゴを旅行しながらいろいろ食べ歩いたけど(ギリシャ料理、イタリア料理、中華料理、メキシコ料理、アメリカン)、家に戻ってからは和食。ひろ家での味噌なべにはじまり、アニーが僕に気を使っていろいろ和食を作ってくれる。

お元旦はおせち料理とお雑煮とお汁粉。紀伊国屋で買った日本語料理本を頼りに作っているのだけれど(僕はほとんど翻訳せず)、お煮しめと、えび、玉子など、すごくおいしくて日本の味。これから是非アニーの研究のためにも、我が家の日本食発展のためにも、もっと本物の日本食をアニーが試食できるように工夫してみたいと思う。ちなみに和食スーパーでおせち料理は一箱35ドルだったから、これ季節商売になるねと二人で話していた。


次の日はおでん。大根も玉子もじっくり煮込んであって納得。すごく、久しぶりにちくわとか食べたね。昔は湯豆腐と合わせてあんまりおでんも好きではなかったけど、今は本当においしいなあと思う。こういう日本の料理を好きとかきらいとかかまわず、我が家ではしっかり子供のうちに食べさせてあげたいと思う。その時は「えーっ」とか言われても絶対あとで「おいしいなあー」という時がくるもんね。
さーて2010年に向けてエンジンをかけなくては。