Friday, January 8, 2010

Yutaka Ozaki(尾崎 豊)

最近通勤の往復時は、i-phoneを車のオーディオにつないでCNBCのマーケットレポート・ニュースを聞き快適に行き来している。あんまりテレビを自宅で見ないので、通勤・帰宅時の毎日2回の産業ニュースは効率的にもいい。

だが昨日ふと音楽が聞きたくなり、手もとにあった尾崎豊のアルバムを車の中でかける。うーん、よく出来た歌詞に唸ってしまう。

誕生、十七歳の地図、存在、失われた1/2、僕が僕であるために、、、

10代で自分の経験や人の話から、どうしたらこれだけのものが書けるのかと感心してしまう。僕が中学の頃初めて尾崎を聴いたときは、なんじゃこりゃ、変なにーちゃんだな、なんでこんなに気張ってるんだ、なんで尾崎ファンはあんなに熱中するんだ、と不思議に思っていた。ノホホンと小・中・高を過ごし、特にもまれなかった自分には、その言葉を感じ取る土壌が出来ていなかったのだろう。自分なりに前へ踏み出し、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり生きて来た後に改めて聴くと、その言葉の一語一語がスーッと自分に入ってきて、そうだよな、つらいよな、不安だよな、でもみんな頑張ってるよな、前向いて明るく行くんだよな、笑って前進むんだよな、なんてやる気がむくむくっと沸いてくる。たぶん彼の歌に多くの若者が当時元気付けられ、今も多くの人達が言葉を噛み締めてるんだろうなあと思った。

彼のような芸術家は通常よりもアンテナがびんびんに張っていて、世の中の矛盾とかつらさとか美しさとかすべて受信してしまう超センシーブルな人間なんだろうと思う。そのキャッチする情報をぐーっと凝縮して芸術表現に転化する。強い精神に裏づけされたその感化力はすごいものだと思う。ただ、そういう自分を守りきれないことを悟った岡本太郎さんは、守らないことでその壁を突き抜け、生き続けてくれたけれど、尾崎豊とかその他の芸術家は、本当に残念ながら、すっと行ってしまった。彼が生きていれば、今45歳。まだまだいけてるオヤジで、元気のないオヤジら相手に、いいとこ見せてくれるかもしれないのになあ、またすごい歌詞をつむぎだしてくれるのかなあ、なんて思ったりする。

ということで久しぶりにカラオケに行きたいような気がしてきた。いまさらの感があるが、学生の時のように、尾崎・長渕・ブルーハーツ・ボーイ・フライングキッズをシャウトして、明日への活力を充電したい!誰かカラオケ一緒に行ってくれないかなあ。。。

1 comment:

Unknown said...

最近のブログの記事はエッセイを読んでいるみたいな気がする。読んだ後、胸が熱くなって魂を揺さぶられる。
書き手の思いが伝わってくるからか??