Saturday, January 23, 2010

Contentment and Progress(満足と進歩)

最近、満足と進歩について考える。知足(足るを知る)は真実だと思う。でも自分を前に押し出していかないと進歩もないのもまた真実ではないだろうか。このバランスをどうとっていくか。

最近までは、目標を定め、それを自分に課し、集中力を高めて、一つ一つこなしていくことで結果が出てきて、充実していたような気がする。それほど工夫しなくても、時間はたっぷりあるし、いろいろなことに突っ込んでいって挑戦し、広さとしての自分の経験値が上がることに進歩を実感し、満足・充実感を得ていたみたいである。「これかっ?」と何かを感じたら、それに向かってとにかく突っ走るという戦略である。単純な自分にはぴったりだ。

最近、自分が進歩するだけではなく、他人・組織・社会に貢献できるような形、つまり結果を出す形、深さが伴わないと、回りも満足しないし、自分も充実感を得にくくなってきているみたいである。もちろん前より時間も限られている。「自分で課した目標をやっていないじゃないか?甘いんじゃないか?」と自分にプレッシャーをかけるだけでは、質の高い結果が出ないだけでなく、自分で自分を疲れさせている感もある。例えば朝、布団の中で、「あー、あの案件なかなか進まないなあ、極端に朝5時くらいに起きて時間をかけて取り組めば何か進歩するよなあ、でも眠いし通勤一時間だし、ボスはまた文句いうんだろうなあ、昔の勢いはどこだ、ちょっとだれているんじゃないか、、、」なんて考え、自分で自分にハッパをかけようとしたりしていた。

ある朝これは、自分を鼓舞するというより、プレッシャーかけて終わっているだけかもしれないことに気がついたので、試しに、「いや、かける時間じゃない、今体が疲れているなら少し休んで、気持ちを楽にしよう、通勤の一時間もアイデアを出すのにいいし、ボスは皆にもあの調子だから、気にせずもっと工夫してボスの言うところに影響を与えていこう、昔より難しい仕事なんだから、「何」だけでなく「どのように」が重要なんだ、、、」なんて考えてみた。そうすると、いろいろなプレッシャーは自分で作り上げていた幻想で、それが消え、胸がスーッとすると同時に、回りもよく見え、青空がぐっと高くなった感じがした。アイデアもいろいろ出てきた。

僕の友達でも本当に効率がいい人達がいる。結果が出て、その質が高い。よく工夫しているんだろうし、そこにエネルギーを注いでいるんだろうけど、どうやればああいうふうにできるのかわからない。不器用な自分は、つい突っ走って勝負しがちなので、これからは、上記のように、工夫をする癖、そしてそこからより質の高い結果を出していく楽しみ、これを習慣として身に着けていけたらと思ったのだった。

「これでいいや」では進歩はないけれど、「これじゃだめだ」だけではなんかギスギスする。「こんなのはどうだろう」「これいけるんじゃないか」みたいな工夫に焦点をあてることで、僕みたいな気合一発タイプにありがちの「僕はこんなに(精神的にも時間的にも)努力しているのに、なんでわかってくれないんだ」という外への不満と内へのストレスが、「自分のこの工夫ではだめか、じゃあ次の手を考えよう」という内省へ転化され、自分の問題として取り組めるようになり、コントロール感も合わさって、精神的にもよさそうである。

皆からすれば、「そんなの当たり前だよ」と言われそうだが、自分としては、「あー、これはいけるかも、、、」とちょっとした発見に得した気分。

これからいろいろ試していこうと思う。

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