Saturday, November 30, 2013

Feeling of not settled(浮遊感)

休日早朝ホームデポに肥料を買いに行ったついでに、マックでコーヒを飲んでいると、休日の早朝にもかかわらず、多くの人が朝食を取っていた。メキシコ人の家族もたくさんいて皆で楽しそうに食事をしていた。ここではメキシコ人は主に移民で労働者階級に属するみたいである。自分も昔おじいちゃんのトラックに乗っていろいろ回っていたのを思い出した。労働者階級にあることで経済的にはいろいろ悩みの種が尽きないかもしれないが、それ故、家族で助け合って、一緒に頑張って明るく生きて行けるってことがあるのかもしれない(自分が子供の頃はそうやって仲良く生きて来た気がする)。

それをどうやって今の自分の家族で実現させようかと考えている時ふと、気持ち的に日本に属し、でもアメリカで生活し、そのどちらにも属していない浮遊感を不安であるような心地良いような変な感じを受けたのだった。何かに属す事で安定感を感じるのが普通だし、やっぱり死ぬのは富士山をみながらかなあなんて思っている自分としては、すこしこっちでやって納得したら帰るつもりだったのだけれど、運命としてこちらに長くいるようなことがいろいろ起きて、ある時から深く考えるのをやめて、その時その時に全力を尽くして生きる様にしている。小説の深夜特急なんて読んでいると共感するけれど、長期の旅行している最中は、現実社会の観念的時間から隔離され、その時はじめて、精神的にリラックスができ、浮遊感というか流動感というか、不安のような、心地良いような、あの感覚が訪れる。長期旅行と言ってもヨーロッパに1ヶ月くらいしか行った事ないけれど、留学とかは2年くらいあったし、その時もそんな気がしたような気がする。

ある意味、あの感覚を感じたということは、今、その続きをここ十数年くらいやっているのかもしれない。ただ、十数年前に比べると、テクノロジーの進歩、グローバル化の影響、などから以前と比べ物にならないくらい、世の中の変化のスピードが加速しているので、逆に固定することで不安定感が増し、浮遊することで安定感が増すみたいな、逆転現象が起こっている気もする。

冬が近づくと、生命の動きがスローダウンするからか、春への期待がスピードアップするからか、いろいろこのような小さな心の声が聞こえてくる。不安というより、味わっている奇妙なフィーリングをじっくり分析して自分の行動指針に何か新しいものを取り入れたいという衝動である。ぼーっとするか、本を読むか、ものを書くか。

この浮遊感に漂うだけでなく、それを乗り越えて、次の目標を見つけたいなあと。

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