Monday, May 3, 2010

No Form (無構え)

「有構無構、構えは有るようで無いもの」-宮本武蔵が五輪書で示した有名な構えについての考え方である。物事に柔軟に対応することを言っているものだと思う。

新しいポジションに移ってもうかれこれ一年が経とうとしている。ポジションにも少しづつ慣れ、手ごたえを感じ始めている反面、当初の気迫が薄まってきているかもしれない。この段階で、歩いてきた跡をちょっと振り返り、明日への気迫を拡充してみるのも良いかもしれない。

突然だけれど、僕は人生で2回程いじめられたことがあるような気がする。そもそも、祖父譲りのがっしりした体格(特に中学あたりから)と父譲りの負けん気が功を奏したのか、あんまり挑んでくる人はいなかった。

1回目は9歳になるかならないかの小学校3年生の時で体育の時間に、弱虫3人組にあることを指摘され、その後彼らに話かける度に、そのことに言及し有無を言わせず僕を黙らせるというものだった。とてもいやだったけれど、また一方で、馬鹿らしくもあり、とにかくその3人には反応しないことに決めた。人は対等であるべきだと思っていた自分は、小学校に入ると同時に直面した子供社会のピラミッドに何かこう不純なものを感じて(やっぱり親分、子分の集まりがあり、誰と遊ぶとかもその支配を受けていたようだった。)、そういう組織に加わるよりも対等に付き合える人と遊ぶかそういう人が忙しければ、一人でいることを選んだ(小学校時代は毎日放課後遊ぶ相手がいることが人気者としてのステータス感があったようである)。そんな中で、一人になる寂しさも時々あったと思うけれど、まあしょうがないくらいに考えていた。だから岡本太郎さんの子供時代の気持ちはよくわかる。そういう状況で、そのヘンテコ3人組くらい、話さなくてもどうってことはなく、いろいろいやなことを言われても、人を不正に扱う人種に対する軽蔑のまなざしを無言で表現すると、数日でそのようなことはなくなった。彼らはいつも弱い立場にいるタイプだったのでストレスのはけ口が必要だったのかもしれない。ただ、ラッキーだったのは、他のクラスの人達が冷静だったため、1対クラスとかにはならなかったことだろう。

2回目はずっと飛んで30代も後半、インパクト・期間ともに大幅アップ、それも僕にとってはアウェイ(敵地)の外国で修行的状況として自分の前に現れることに。。。自分が運営・統括していたチームが世界同時不況と戦略変更の影響を受けて、より大きなチームに吸収合併されることになった。自分が訓練してきた15人のチーム員を新しいチームに振り分けることに。そこで新しいチームにおける改善案を出すのだが、他の4人のマネージャーは、人は欲しいけど、助けはいらないとその案は蹴られる(改善されると彼らの立場ないし。。。)。ただ自分は昔のオペレーションは引き続き行わなくてはならなかったので、緊急時にはいつでも、昔のメンバーからサポートをもらう約束であった。開発が停止、改善案が蹴られ、人のいなくなった自分には、緊急時以外、ほとんど仕事を回してもらえなかった。ただ、ボスと他の4人のマネージャーとの週二回のマネジメント会議には引き続き出席することに。

ところがここでいろいろなことが起こり始める。事業の先行きも見えない中、他のマネージャーやチーム員も不安だったのだろう。改善しようと前向きになるタイプ、なるようになれと居直るタイプ、そして弱い立場の者を刺すタイプに分かれた。すると、あのヘンテコ3人組みがパワーアップして目の前に現れたのだった。ネガティブで知れている2人のチーム員と、自称武道家でいままで武道の話をしたりしていて仲良かったマネージャーが、チーム員の振り分けが完了し僕の立場が弱くなったと同時に、態度を急変して、僕をグサグサ刺し始めた。「(緊急時に昔のメンバーと対処すると)なんで私達のリソースを勝手に使うんだ?プロセスをめちゃくちゃにされては困る!」といちいちオフィス中にメールを流され、「(関係するプロジェクトの問題を指摘して顧客のために問題解決にあたろうとする度に)あんたには、関係ないでしょ、何様のつもり?」とか、「(週二回のマネジメント会議では貢献したくても出来ない僕に対して)、じゃあAtsuから今週の成果を報告してもらおうか?(何も無いと思うけど)」みたいな。。。通常、この様なしょうがない人達相手には、無視してとっとと仕事に集中するのだけれど、その時は、自分の状況と市場の状況から(レイオフされたら国外退去)、喧嘩をしないように、グサグサ刺されながらも、自分の言い分を明確にして罠にはまらないようにし、でも会ったらおはようと挨拶し、引き続き背中に刺し傷を増やし血を流しながら、なんとか土俵際で踏ん張っていた。ラッキーだったのは、他は冷静だったため、1対マネジメント全員・オフィス全体とかにはならなかったことだろう。

貢献という仕事上の武器を全て取り上げられ、他企業へ移れない外国人として喧嘩もできず、週二回の会議でいやみを言われ、ちょっとでも脇が甘いと刺してくる環境、まさに両手両足を縛られぼこぼこにされる苦しい忍耐の3ヶ月だった。精神的にかなりつらく、何度その無礼に切れそうになったか数知れないけど、又、これも自分の修行だと腹をくくって耐え抜くことにした。まあ、いつものことだけど、追い詰められると、ヤケクソヤンキーになり、なるようになれと居直ってしまうのだが。。。

結果としては、そのような苦しいが時間はたっぷりある状況が、将来何をやりたいかじっくり考える余裕と理由、とても競争率が高かった今のポジションに準備・挑戦する機会、を与えてくれ、又その間にオフィス全体の閉鎖・従業員の解雇が発表され、僕を刺していた人達も含めほとんどの人は解雇されるが、自分は運良く本当にやりたかった今のポジションを手に入れることが出来たのだった。

最近ふと考える。あの時どうすればもっと冷静沈着に対応できたのだろうか、どうすればあのようなメンバーをも積極的方向に向けるられたのだろうか、自分がきつい時に弱い立場の人にあのような態度をとってはいないだろうか、ああいう状況になったからには彼らに対する自分の接し方に何か改善出来た点があったに違いない、とか。あのような、まさに自分を鍛える修行的状況は、また手を替え品を替えまた自分の前に現れると思う。その時、自分はもっと冷静に、もっと前向きに、両手両足縛られ、目耳口全てふさがれ、水に沈められ、そしてそれが6ヶ月続くような時(ちょっと大げさか。。。)、果たして一人で充実していられるか、それに向けて準備してるか、覚悟はできているか、本を読んだり、剣道や居合道をしたり、波に浮かびながらふとそんなことを考える。

いつか、全ての雑音を吸い込んでしまう森ような、自然な、柔軟であるが粘り強い、構えていない構え、そんな身のこなしを身に着けたいなと思う。たぶんそれは、必要な覚悟と決意と準備と実践を少しづつ積み上げていって初めて近づける領域なのだろうけれどね。あの3ヶ月を切り抜けた今、あの時を思い返すと、今の新しいポジションで思いっきり、後悔のないように頑張ろうと思わずにはいられない。よし、気合入れていろいろ提案していこう!

1 comment:

Unknown said...

美しい森の風景が目に飛び込んできた。静けさが伝わってくる、、、、。

胸が篤くなりました。”サムライ”ですね!