Tuesday, April 14, 2009

Body Control (体捌き)

仕事の合間に、剣道と居合道を研究しているのだけれど、最近「体捌き」について、広くは「足捌き」や「構え」について考えている。剣道の試合はやったことある人は分かるように、かなり直線的で、ポイント制になりつつあり、当たっても切れているのか、打突部をかわしても体はよけきれているのか、とか疑問は小学生の時に始めた時からあった。学生の頃は、チームを代表しているわけだし、「試合」で効率的に勝つことが必要だったが、今30代後半になり、40代・50代・60代を見越して、何を学びたいかと考えると、明らかに試合で勝つことではない。試合で勝てればそれに越したことはないし、通用するべきだと思うけど、それはあくまで過程で起こることであり、目標は今の僕にとっては、

1) 精神的にも体力的にもぎりぎりのところで、感情をコントロールし、冷静・客観的になり、恐怖・疑念を克服し、まっさらな心で対処することの練習(もちろんこれ日々いかなるところでも練習必要だけれど、稽古は精神的にも体力的にもいい感じに追い込まれるし。。。)、

2) 本当に必要になった場合、1)と共に、剣や体捌きを使って自分や家族を守る技術の習得

みたいに考えている。1)についてはアメリカの職場でもまれながら武道の効用として感じていたことだけど、2)については、先述の鍼灸師の黒谷先生が、以前メキシコ人に親父狩りでぼこぼこにされた話を聞いて、日本人の武道家として、最低限の準備はしておこうと思ったことが大きい。

そんなことを考えながら、以前から古書を読み解いてみたけど、単純に今の剣道で教えられている、構え、足捌き、体捌きが、全てではないような気がする。五輪書での足の使い方の記述が、今の剣道と違うのは有名だし、最近研究がすすんでいる古武道の文献や、まだ残っている映像としてはあの伝説的な合気道創始者の植芝盛平先生の剣捌きと足捌きなどを見ると、直線のガチンコではなく、もっと間合いと横のスペースを使った立体的な動きが顕著である。踏み込み一つとっても、力で踏み切ろうとすると、早くすればしようとするほど気配が出て、相手に受けられ易いのは、剣道をやっているとわかるはず。だからといって、がむしゃらに数を打つのも一つの手ではあるが、体力的にもリスク的にも通常は理にかなわない感じがする。やはり、相手が反応できないような気配のない自然な体捌きと、相手の動きを読みかつ誘い込む、植芝先生の合気道的な要素が必要な気がする。そういう体捌きが出来た上で、一刀一刀に本気を込めてシャープに打ち込むことが出来れば、木刀なり竹刀なりでも十分使える技術になるのではないかと思う。以前やった合気道も近いうちに再開したいけれども、今は剣道と居合道でしっかり研究を進めて行きたいと思っている。

1 comment:

Unknown said...

武道の本を読んでいるような気分になりました。
直線ではなくフラットな動き、イメージできるので面白い表現だと思った。
また、”気配”って不思議で重要な世界ね。
集中力を高めていけばそれが出来るようになるのか??
日本人には武道の心が潜在しているのだからこれからも、大切な趣味として極めてください。楽しみにしています。